30歳を過ぎて責任ある仕事につくようになると、段々と自分がわかってくるようになる。これまで、いかに自分が周囲に守られてきたのか。いかに多くの人に助けられてきたのか。その仕組みとからくりが、わかるようになってくる。それはとても残酷なことだ。恥ずかしくて穴があったら入りたくなってしまう。そして僕は33歳の頃から毎日が神への懺悔、告白の日々となった。
29歳で課長へ昇進した時は自分の実力だと思っていた。でも33歳になってわかったのは、上司が僕を守ってくれたこと、そして引き上げてくれたことだ。4年間も感謝せずに得意になっていた自分が恥ずかしい。当時の上司に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
10年間お世話になった会社を辞める時、僕は会社批判、上司批判を得意になってしてしまった。そして33歳で経営者の立場に立ってみて、初めて現実がわかった。上司は決してバカだったわけじゃない。パーフェクトの解なんてない中で、少しでもマシなベターを探していただけなんだ。だからどんな解にだって問題は常にある。それを得意顔で指摘していた自分が、いかに子供であったかを思い知らされて、そして自分が恥ずかしくなった。
そんな風に現実をつきつけられる毎日にいると、生きているのがイヤになってしまう。自分が大嫌いになってしまいそうになる。そこで、内なる基準を思い出す。「OKかNGかは他人が決めるのじゃなくて、自分が決めることにしたんだ」と。じゃあ、失敗した自分はOKだろうか? もちろんOKだ。それは、なぜ? そこで大切な考え方がもう一つ見えてくる。
それは「今できていなくてもOKさ。変わろうと努力していることが大事だよ」ということだ。
パーフェクトな人なんて一人もいない。誰だって間違いもすれば失敗もする。けれどそこで大切なのは、失敗から何かを学ぶこと。そして変わろうと努力することだ。
よし、僕は変わるぞ。もう人へ迷惑をかけないように気をつけるぞ。僕はそう覚悟した自分を認めてあげることにした。それでもまた失敗するかもしれない。でもいいじゃないか。前を向いて努力していることが大事だ。そう考えることにした。そしてまた一つ大人になったような気がした。