一般にオーナー経営者は自分の経営する会社の全リスクを自分で担保しているほか、彼の個人財産を投資している。だから会社に対する思い入れは並大抵のものではないが、しかしそれはあくまで第一義的なものでしかない。二義的には、会社は彼の精魂こめた創造物であるということだ。それは彼のいきがいであり、命である。芸術家が創作に命をかけるように、経営者は会社に命をかける。社員はそのことを知っていなければならない。そうすれば会社にかける彼の執念にいくらか同情することができる。逆に社員(トップ以外の)にとっての会社は自分の生活を保障する手段のひとつにすぎない。彼は会社という風景の中の旅人である。リスクや投資は限定的であることはもちろん、彼は芸術家の助手でしかないということだ。とうぜん経営者の権勢の下にある。作品の名と栄誉は経営者のものとなってしまう。ここに両者の決定的なちがいがある。これらのことはお互いに知らないより、知っていたほうがいい。当たり前のことなのだが、応々に忘れがちだ。このことを肝に命じておいたほうが不信の火種にならない。
このように私は入社したときからそんな一種の狂気な状態で仕事をやってきている。私としては普通のことなのだ。せめて専務だけでもその狂気の一片でも共有してほしい。そう願うのだ。
そんな観点からすると、専務の経営に対する姿勢は私には甘っちょろいものに見えた。倫太郎は迷っていた。私と社員に挟まれて、自分が何をどのようにやればよいか迷っていた。自分の本当の役割をつかんでいなかった。会社における自分の定位置がわからなかった。懐に入って相談に乗ってやればよかったかもしれない。場合によっては叱責でもいい。次期社長ならもっと積極的に、もっとガムシャラにやれ、と。そうすればその試行錯誤の中から自分の役割をつかんだかもしれない。オーナーの息子なら、それはオーナーから勝ち取るものなのだ。
しかし私は専務の経営姿勢を指摘できなかった。常識的にはそれは過大な要求であるし、それによって二人の関係が私と親父との関係の二の舞になることを恐れたからだ。専務の内心を聞いたことがない。ただ経営が厳しくなってから苦悩が内心に渦巻いていたことは確かだ。自分の人生がこんな毎日の苦難さの中で費やされていく不安、父親の拡大と狂気の犠牲、自己と企業経営との齟齬(そご)。言いたいことはいっぱいあるにちがいない。
そんな私と息子をもて遊ぶように、時代は「中小企業の淘汰、やむなし」を選択する。加速度的に下り坂の傾斜角度が急変していく。
(『なぜ会社は大きくすると潰れるのか』より)

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著 者 |
不破 俊輔 |
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定 価 |
1‚680円(税込) |
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初版発行 |
B6並製 |
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ISBN |
ISBN978-4-7569-1193-3 |
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ページ |
268 |
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版 型 |
B6並製 |
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