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著 者 |
吉田 浩 |
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定 価 |
1‚365円(税込) |
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初版発行 |
2008.11.17 |
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ISBN |
ISBN978-4-7569-1245-9 |
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ページ |
212 |
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版 型 |
A5並製 |
・紹介文
上杉謙信の義の志を受け継ぎ、上杉景勝の最強の家臣となった直江兼続の一生と、動乱の時代をともに生きた真田雪村、石田三成や、天下を取るべく活躍した豊臣秀吉、徳川家康たちを描く。
・目次
●第1章 直江兼続ってだれ?
1 兼続の時代は川中島や桶狭間の戦いで始まった
(謙信が関東攻撃を始めたころだった)
2 新潟と山形のロケーションで見る
3 先祖は巴御前だった。
(巴御前は木曽義仲四天王だ。名前は与六、可冠して、「兼続」と名乗る。弟が2人いる4親は台所担当の下級武士だった。坂戸城城下の場所だが、正確な場所がわからない)
4 人となりをワンポイントレッスン
(「義を通した」といわれる)
5 美男子、長身といわれた
6 印の兜は「愛」は「仁愛」を意味する
(愛禅明王、愛宕信仰に由来する説、仁愛に由来する説?)
7 ウワサでは、上杉謙信のホモの相手だった
(「稚児」といわれた。上杉謙信が女性だった。直江は子供のようにかわいがられた)
8 主人景勝と樋口与六(兼続)は春日山に移ってきた
9 直江家は本丸のそばにすんでいた
(虎口という進入路の入り口に直江屋敷があった)
●第2章 謙信の相続争い
1 信玄の死によって、一向一揆との戦いが終わった
2 最強の信長は謙信との戦いに負けた
3 主人の上杉景勝は謙信の姉の子だ
4 謙信が景勝を養子にした「無理心中事件」
(自分が疑われるのが、イヤだった)
5 主人の上杉景勝と5つしか、離れていなかった。(謙信の姉が見込んでいた)
6 上杉景勝は一生に一度しか笑わなかった
(景勝は「父の謙信コンプレックス」があった)
7 謙信は女犯をおかさなかったので、子供は養子だ
8 直江兼続は上杉謙信の死を知らなかった。
(直江兼続が意識モウロウの謙信に「後継者は景勝だ」と指名させた)
9 与六(兼続)は春日城の軍資金3万両を与六(兼続)が押さえた
10 与六(兼続)は謙信の葬儀を一切しきっていた
●第3章 御館の乱
1 上杉後継者争い御館の乱は銃撃戦で始まった
2 景虎の親戚・強敵北条は敵にまわった
3 上越がぼろぼろになるまで戦った
(おたがいに町を放火したからだ)
4 景勝は勝頼の妹菊姫と政略結婚する
(黄金1万両で買収。敵方武田氏と和解する)
5 武田との和議で御館の乱は圧倒的に優位になる
(上杉と北条の絆は切れてしまい、御館の乱は兼続の策略で勝った)
6 御館の乱は、反対勢力をみんな死に追いやった
(景虎の自害と息子の道満丸の斬殺だった)
7 兼続は交通路を知り尽くす。
(直江津が今に残る地名。御館の側にある)
8 どうして、その後も戦乱が続いた
(もともと越後は全体的には制圧していなかった)
9 義父直江信綱の巻き添え「斬りあい事件」
(後継者争いで、ごほうび「論功行賞」が少なかった)
10 兼続は22才でいきなり直江家の跡を継いだ
11 妻の「お船の方」は3つ年上の姉さん女房
(「おせん清水」は今に残る)
12 与板城が「出発点」といわれる
(与板城はのちの米沢での生活の「実験場」だった)
●第4章 信長との戦い
1 信長はどのように北方支配を展開した
2 信長は「御館の乱」のスキをつけなかった
(一向一揆の抵抗で、北方攻撃に慎重になっていた)
3 信長はこりもせず北方を侵略した
(越中富山の佐々成政が上杉を攻撃する)
4 下越の新発田重家が裏切った
(御館の乱の恨みが尾を引いていた)
5 兼続は信長の動きを諸将からの報告で分析していた
(多くの連絡網を張っていた)
6 ついに武田勝頼は討ち死にした
(兼続は勝頼の救援にいけないかった)
7 信長の激しい侵攻が始まった
(武田の滅亡で、ほぼ3方向から攻撃できたから)
8 柴田勝家は上杉を恨んでいた
(5年前の手取川の戦いで大負けしている)
●第5章 秀吉時代
1 自軍の魚津城は落城をする。魚津城落城と信長の本能寺の討ち死。タッチの差だった
2 本能寺の変で柴田勝家の春日城攻撃がなくなる
(直江と景勝は救われた)
3 柴田と秀吉の戦いの中立を守ろうとしたが…
(柴田勝家と羽柴秀吉のいずれも強かった)
4 賎ヶ岳の戦いで、秀吉に力をかせなかった
(戦後処理で忙しかった)
5 落水城秀吉と景勝が会見した
(秀吉と三成は兼続・景勝を恐れ和解する)
6 秀吉や三成と深い関係になる
(大坂に行くことになった)
7 上杉だけでなく直江も歓迎された
(上杉景勝と直江兼続の上洛で出世する。従五位下、山城守になる。その後も出世している。文化人とも交流し、兼続は文化を吸収する)
8 秀吉の「国家作り」に組み込まれていった
●第6章 朝鮮出兵
1 抵抗していた新発田重家を攻略する
(秀吉の後ろ楯があった)
2 兼続は佐渡に侵攻する。たった1日で制圧する。(大阪城の金の6割は「上杉から」といわれる)
3 秀吉の小田原北条の攻撃に参加する。
(前田とともに八王子を攻めとる)
4 伊達と上杉はシックリいかなかった
5 庄内を支配することになる
(太閤検地が庄内ではうまく進まなかった)
6 わざわざ朝鮮出兵にいかざるをえなかった
(5千人の兵力で、3千人が従軍)
7 無益な戦いと知り酒や略奪の禁止する
(兼続は三百冊の本の収集作業をした)
8 大地震がおきた。女房を助けにいかなかった
(豊臣政権が揺らいできた証拠だった)
10 上杉の故郷越後を去る。会津に移封になった
(蒲生氏郷が死去。秀吉は奥州を平定して、会津を奥州の拠点と考える。
11 大八車が2千台と8万人の人足いう引っ越し
(新しい城を建設したを使ったという)
●第7章 秀吉の死と直江状
1 秀吉の死去。家臣としてただ一人、刀をもらう(景勝は大坂にのぼり、翌年、会津に帰る)
2 家康は伊達政宗と接近する。家康と対立をはじめる。(中央集権の石田三成と地方分権の伊達政宗)
3 「かぶきもの」の前田慶次が参陣する
(花の慶次」は文化人でもあった)
4 越後の堀久太郎秀治は「景勝に謀反の疑いあり」と家康に密告。上杉を屈服させるため、家康から起請文がくる
5 家康にけんか状、いわゆる「直江状」を出す。
(「直江状」はどんなものか? 後世の偽作なのか)
6 家康は直江に「だまされたふり」をして進軍するくる(家康は景勝の上洛を指示)
7 兼続も進軍。兼続は恐るべき作戦を立案する
(白河の南。革籠原に陣を敷く。家康を粉砕しようとして待つ)
8 景勝は生まれて初めて、兼続に逆らった
(当面の敵、最上に背を向けたくなかった)
●第8章 関ヶ原はどう戦った
1 「最上戦争」とは「北の関ヶ原」といわれる
2 激戦になった「長谷堂の戦い」
3 「関ヶ原」前夜。石田と直江の関係
4 「関ヶ原」の本戦も家康が苦戦していた
(家康との「直接対決」はなかった)
5 西軍敗北。見事な撤退と言われた
(鉄砲隊に援護させ、米沢に帰る)
6 直江は家康の子供結城秀康や井伊、本多に頼る
(あまり減俸がひどいと家臣の不満を抑えきれない)
7 上杉米沢に30万石減封させられた
●第9章 米沢時代
1 米沢は戸数800のキャパに3万人の引っ越した
(食物も不十分。家臣は風雪がしのげる程度の家。ほとんど無給になったのに留まる)
2 紅はな、あおそ、こうぞなど米沢の名産になる
3 農業の専門書を書く。こしひかりは後世のもの。
(農業についての本『四季農戒書』)
4 兼続自身、山に登って指示する
(自ら現場に出て「直江堤」と呼ばれる)
5 鉄砲技術に力を入れる
6 釜や墓石まで戦争に転用できる。
(天然ガスを使っていた)
7 本多の息子政重を婿にする。徳川の一員になる
8 本多政重は、お役御免と去ることになる
(兼続の息子が結婚する)
9 真田幸村と出会いと別れとは?
(真田の合理主義と合わなかった)
●第10章 兼続の死
1 大阪の陣が初まり、老将として出陣する
(大阪の陣は、東軍として戦う)
2 猛将木村重成や後藤又兵衛と戦う
(鉄砲隊の大筒や鉄砲が威力を発揮する)
3 外堀を埋めるために大坂にいる
4 跡継ぎを断念して、死んでいった
5 主君景勝と妻のお船の死
(お船は、謙信、景勝、兼続、平八の4人の弔う)
6 まとめ
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