「できる!」ビジネスマンの雑学
2022年10月14日
[738]やらかし人物列伝 第二回-コーヒー大嫌い王様の誤算

 世の中には健康に気を遣うあまり、極端な食生活や習慣を実行する方々がいます。自分の体で実践するならともかく、それを他人に強いるのはあまりおすすめできません。

 ところがそれを刑罰にまでした極悪非道の人物がいました。時は十八世紀、スウェーデン国王・グスタフ3世は、酒やコーヒーは健康に害をもたらすと固く信じた国王でした。

 そして、それを証明するため、国民に強権をふるいました。スウェーデン国民に禁酒と禁コーヒーを命じたのです。さらに、自分の考えが正しいことを証明するため、牢獄にいたふたりの死刑囚(双子だったとの説もある)に、ある過酷な拷問をスタートさせました。

 「ふたりのうちひとりは一日ポット3杯のコーヒーを、もうひとりはポット3杯の紅茶を、死ぬまで毎日飲むこと。これは王命である。」

 さらに念を入れて、この実験を見張り、定期的に健康調査するため、ふたりの医師に彼らが絶命するまで観察を続けるよう指示しました。

 牢屋での人体実験。逃げ道のない万全の対策です。ふたりの囚人は歴史上初めてとも言える、この残酷な拷問からのがれる術はありませんでした。

 (まぁ、早晩、コーヒーを飲む方は絶命するだろうな。コーヒー毒でさっさと死ねば、わが名声はさらに高まり治世は安泰じゃ、ふふふ。)
などと国王は言ったか言わぬか・・・。

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 残念ながら、国王も医師たちもこの実験結果を知ることはありませんでした。

 なぜなら、健康観察を命じられた医師たちはすでに年配だったからか、ふたりの囚人よりも先に亡くなってしまったからです。

 さらに1792年、グスタフ3世は暗殺により46歳の若さで命を落としました。

 記録によると紅茶を飲まされていた囚人は83歳まで生きたそうです。肝心のコーヒー毒を浴び続けた囚人がどうなったのか、記録は不明だそうです。

 グスタフ3世の在位は1771年~1792年ですから、即位後すぐにこの実験を始めたとすると、国王暗殺まで21年間もこの拷問は続いたことになります。

 十八世紀当時、コーヒー一袋(400グラム)は農家で働く少年の一年分の給料ほどだったそうです。一ヶ月でコーヒー一袋を消費したとすると、年間で12人分の年俸を飲み切った計算となります。紅茶も輸入品ですから、それに近い高価な嗜好品でした。なんとも優雅で贅沢な拷問だったことでしょうか。

 筆者が囚人だったら、少しでもコーヒーを飲み続けられるよう、がんばって健康に気を遣ったでしょう。いえ、コーヒー毒が効いたふりをして、もっとコーヒーを所望したかも。おそらく、ふたりの囚人たちも同じ気持ちだったに違いありません。

 最初は死ぬまで毒を飲むのだと聞かされ、その運命に絶望しかなくコーヒーをすする日々。しだいにコーヒーの味に慣れてくると・・・うっ、これは毒?、・・・うまい。
 (体の調子も良くなってきた。体が毒に馴れたのか。いや、ある日バッタリと絶命するんだろう。もうそれでもいいか、今日からオレはコーヒー党だ。)
などと囚人は言ったか言わぬか・・・。

 現在のスウェーデンにはフィーカ(fika)と呼ぶ、おしゃれなコーヒー文化があるそうです。記録に残るフィーカの始まりは牢獄の中だったことになりますね。ちょっと複雑な気分でしょうか。

 残念な結果に終わったグスタフ3世ですが、政治や文化で偉大な足跡を残しています。まずは驚くなかれ、拷問の禁止。言論の自由化、社会福祉事業の着手。大国ロシアに戦争を仕掛け、スウェーデンの国際的地位を高めました。演劇やオペラ、舞踏会を広め、文学の殿堂として1786年、スウェーデン・アカデミーを設立しました。

 このスウェーデン・アカデミーは現在も活動を続けており、ノーベル文学賞の選考委員会を兼ねています。国王の威光は今にしっかりと伝わっています。
 コーヒー禁止令ではやらかしもありましたが、スウェーデンの発展に尽力した名君でした。

 ところで、グスタフ3世は禁酒令も出しています。でも、毎日ポット3杯のお酒を飲ませる拷問はやった形跡がありません。なぜでしょう。
 これは想像ですが、希望者があまりにも多すぎたから・・・かもしれませんね。(水田享介)

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