「できる!」ビジネスマンの雑学
2025年12月08日
[1054]日本はなぜ米国と戦争を始めたか?

 本日は12月8日。1941年のこの日、日本が東南アジア(タイ王国、英マレー領、米領フィリピンなど)、真珠湾(米国)に一方的に軍事攻撃を仕掛け、米英との戦争が始まりました。太平洋戦争です。

 日本のメディアでは各社サイトで、当時の開戦の経緯を説明しています。

太平洋戦争 なぜ開戦したの?
(アメリカは)日本に対しフランス領インドシナ、そして中国からの軍の撤退を強く要求し、石油やくず鉄の輸出を禁じる経済制裁を発動...。海軍の作戦計画を担う軍令部のトップは、このまま石油がなくなれば艦隊を動かせなくなるとして「むしろこの際、打って出るのほかなし」と昭和天皇に伝えました。
NHK 戦争を伝えるミュージアム

 今も石油がなくなると日本は立ち行かないと言われています。1941年の日本は石油がないと軍を動かせなくなり、降伏するほかないと追い詰められていました。当コラムでも戦争の契機となった石油問題について執筆しています。

[271]日本のエネルギー政策の失敗が招いた太平洋戦争
「日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか」(岩瀬 昇・著 文春新書)...この本によると、日本は資源、特に石油に関しては決して「持たざる国」ではなかった...。
日本は石油資源をうまく見つけることができず、見つけても活用することができなかった。つまり石油開発の基礎技術が不足していたため、目の前の大油田をみすみす取り逃がしていた...。
当コラム 2016年07月29日
https://www.asuka-g.co.jp/column/1607/007928.html

 約10年前のコラムのため、いくつか疑問のまま残した課題がありました。

 ひとつはなぜ日本はサハリンの原油権益をソ連に売却したのか。しかも太平洋戦争中の1944年に。たったの400万円で。
 もうひとつが日本海軍はオクタン価92のガソリンを精製できていたのかという謎。

 その疑問に答えた資料が見つかりました。

 「戦争と石油(1)~太平洋戦争編~」
石油・天然ガスレビュー/岩間敏 2006年

 このエッセーによると、日ソ間は昭和11年以降は両国間の紛争がしだいに増加していき、
「昭和14年5月の日ソ両軍の師団単位による本格的軍事衝突となったノモンハン(中国東北部北西地域、ハルハ河流域)事件等により、ソ連側の圧力(現地労働者の雇用難、パイプラインの使用拒否、エハビ・カタングリ地域での掘削禁止等)が増加し、原油生産量は徐々に低下」(上記エッセー/52ページ)
とあります。
 重要な石油権益を持ち合う相手国と紛争を起こすようでは、石油など得られるはずがありませんね。

 中国東北部(旧満州)地域には豊富な石油埋蔵量が予想されていましたが、日本から派遣された試掘調査団ははやばやと南方に移動させられ、ひとつも発見には至りませんでした。
 もし、満州地域の油田が開戦前に見つかれば、日産100万バレルの能力がある油田ですから、日本は戦争の必要はなかったことになります。
 ※当時の日本の消費量は5.8万バレル/日

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※戦艦ヤマト・模型(大和ミュージアム/筆者撮影)

 また、蘭印(オランダ領インドネシア)とは昭和15年に年間185万トンの石油輸入計画がありましたが、
「日本軍の南部仏印進駐、蘭印政府の日本資産凍結に伴い、昭和16年8月には日本側への石油引き渡しは停止」(51ページ)

 つまり、日本陸海軍は交渉次第で確実に得られた石油を、自らの軍事行動により次々と失っていったことがわかります。

 しかしなぜ日本は陸軍も海軍も深く考慮することなく仏印へ進駐したのでしょうか。
 これには前例がありました。第一次世界大戦で英仏の「協商国」だった日本は、敗戦国ドイツから中国・山東省、ドイツ領南洋諸島の委任統治権を獲得。また、ドイツから鹵獲した航空機、潜水艦を戦利品として受け取ります。さらには国際連盟の常任理事国となり、国際社会での発言力を高めました。

 日本は中国大陸進出の足がかりを得たほか、最先端の潜水艦建造技術を労せずして得ることになります。

ドイツ潜水艦に「神棚」があった!? 日独をつないだ「過酷な作戦」
100年にわたる"水面下の交流"とは
乗りものニュース/月刊PANZER編集部 2025年12月7日

 これは筆者の考察ですが、先の大戦(第一次世界大戦)で「勝ち馬に乗る」うま味に取りつかれた日本軍が、第二次大戦が起こりドイツに占領されたフランス、オランダからその植民地を奪い取ることに躊躇はなかったでしょう。もしイギリスが降伏すればマレー半島からインド大陸までも手に入ると、妄想を逞しくしていたはずです。

 実際に日本軍の進出はこれに沿った形で進行しています。領土と権益に目がくらんだばかりに、自国の軍事力を越えて欲望ばかりが先走りしたのが太平洋戦争の実体としか思えません。

 同様に軍事技術についても限界はすぐに露呈しました。日本は米英のエンジン技術を導入して、昭和10年頃には1000馬力級のエンジンを作れるまでになっていました。その技術の結晶が「零戦」でした。

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※手前から栄三一エンジン(1130馬力)、零戦六二型、特攻兵器「回天」(大和ミュージアム/筆者撮影)

 しかし、技術提供国との関係悪化により、2000馬力級のエンジン、ターボチャージャーなどの先進技術を手中に収めることができず、航空技術の差は開く一方となりました。

 そして、肝心の燃料です。オクタン価92のガソリン精製技術は、技術輸入の道が絶たれて量産には至らなかったようです。

「昭和14年12月に米国が発動した「モラル・エンバーゴ」(道義的禁輸)...「日本揮発油」は米国のUPO社の石油精製プロセスの特許権を保有していたが、同社の斡旋でオクタン価92のガソリン製造プラント実施権を確保するために米国へ派遣されていた陸海軍の交渉団も、同様に、このモラル・エンバーゴ発動により交渉を打ち切られた。」(49ページ)

 一方のアメリカ軍はオクタン価100の航空燃料を通常使用していました。オクタン価の違いは馬力に直結し、馬力は速力、瞬発力すべてにつながるため、航空戦においてオクタン価の差は致命的です。

 日本陸軍も海軍も、国防と言いながら領土拡大に邁進。諸外国との話し合いはできずに、つねに軍事力で脅しに掛かり、解決を図る組織でした。そのせいで江戸時代から引き継いできた権益も国境線も戦うことでしか守れなくなったのでした。

 国家運営も外交も軍隊にまかせたらお終い、と言うことがよくわかるのが、日本の近代史です。(水田享介)

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【参考資料】
『石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」』
(朝日新書 57/岩間敏)

『アジア・太平洋戦争と石油: 戦備・戦略・対外政策』
(吉川弘文館/岩間敏)

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