NHKアーカイブスの公式Xで珍しいニュースを紹介しています。
【きょうの出来事・10月20日】
▼国産飛行機「ニッポン号」世界一周(1939年)
1939年8月26日、国産の飛行機ニッポン号が初めて世界一周の旅に出た。平和親善の一環として企画されたもの...。故障ひとつなく10月20日に無事帰還した。
(NHKアーカイブス・公式X 2025年10月20日)
今から90年近く昔の1939年(昭和14年)、羽田飛行場を飛び立った日本の航空機は東回りで、北米大陸-南米大陸-アフリカ-ヨーロッパ-中東-インド大陸を経て、10月20日に日本に帰り着いたそうです。
国産の航空機として世界一周は初めてのことで、当時のニュースでも大きく取り上げられています。当時の記録映像からも出発時の日本国民の熱狂がリアルに伝わってきます。
国産飛行機「ニッポン号」世界一周
(NHKアーカイブス・放送史 放送年度:1939年度)![]()
※NHKアーカイブスより引用
筆者の記憶にあったのは、戦前の有名な海外フライトといえばロンドンまで飛んだ「神風号」でした。
今回調べてみたところ、「神風号」(1937年)を企画したのは朝日新聞。これに刺激を受けて「ニッポン号」を企画したのが毎日新聞でした。
つまり、海外への親善フライトは新聞社の拡販競争として立ち上げられた企画だったようです。
ただ、新聞社が航空機を設計・生産する能力はなく、機体はどちらも陸軍から供与を受けています。
「神風号」は「キ15 九七式司令部偵察機」、「ニッポン号」は「九六式陸上攻撃機」となっています。
「ニッポン号」の元になった九六陸攻は現役の兵器だったため、兵装を外して「三菱双発輸送機」と改称されました。親善目的ですからさすがに「攻撃機」のままでは行けなかったようです。![]()
※整備中のニッポン号・-Image from the Ray Wagner Collection/the San Diego Air and Space Museum
平和親善として「ニッポン号」が世界一周に旅立ったのは1939年8月26日。運の悪いことに僅か一週間後の9月1日にドイツがポーランドに侵攻して第二次大戦がぽっ発します。
結局、ヨーロッパ各国訪問は取りやめ、スペイン、イタリアを経由して帰国しました。
この時代の航空史を調べていくと、この頃を相前後して海外からも日本からもいくつもの親善フライトが行われていました。![]()
※「立川A26/キ77」(朝日新聞・立川飛行機)は東京-ニューヨーク間無着陸フライトを予定していたが第二次大戦により中止
今風のシニカルな見方では国威高揚が目的にすぎなといわれるでしょう。しかし、きな臭くなっていく風潮をなんとかして食い止めようとする人々があの当時にいたことは否定できないと思います。
第二次世界大戦では航空機は兵器として飛躍的に発展しました。その直前に、平和の使者として翼を使おうと努力した事実を、もっと掘り起こしてみてもいいのではないでしょうか。(水田享介)