先日来、ヒューマノイドロボット、いわゆる人型ロボットの運動会が中国で実施され、人類の記録を越える記録を連発したと、華々しくニュースで紹介されていました。
その記録とは、100メートル走ではウサイン・ボルトを越えた9秒39。400メートル走、1500メートル走でも驚異的な記録だったそうです。
この記録にいつわりはなさそうですが、競技映像を見た筆者としては心はモヤモヤ、釈然としない気分に襲われました。
まず、走る彼らには視覚も聴覚もなさそうで、やみくもに突進していたこと。ゴールかどこかわかっていたのでしょうか。
つぎに、トップスピードから停止する機能がなく、壁に激突してバラバラになったり火を噴いたりてレースが終わること。
一度走り出したら制御なし。壁にぶつかり木っ端微塵になることは最初から織り込み済み。競技者(ロボット)は1回きりのチャレンジで、走って記録した時間がロボットの寿命でした。
その裏には、ロボットは走る機械にすぎず、記録さえ出せば廃棄してもかまわない存在という考えがありそうです。
もしロボットマンガの中で、そこに登場するロボットが使い捨てとわかったら読者はどう思うでしょう。
たとえば、少年の姿をしたロボットもネコ型ロボットも、毎回のようにお話の終わりには壊れて捨てられます。しかし次の週には新品の同型が現れて、何事もなかったように主人公に話しかけます。
昭和のロボットマンガで育った筆者世代には、こんな残酷な設定では納得できないかもしれません。![]()
※人とロボットの友情物語は日本だけ?
ここまでが、ドライすぎる中国ロボット運動会を拝見した筆者の正直な感想です。どの報道機関も評論家もロボット研究者も、筆者のようなウェットな意見を述べることはありませんでした。
人型ロボットがさまざまな競技に挑む「ヒューマノイドロボット競技大会」は
技術的にどのような意味があるのか?
スポーツ競技におけるパフォーマンスは、「あらかじめ条件が整えられた環境で、すべてが順調に進んだ場合にロボットが何をできるか」を示しています。
(GIGAZINE 2026年09月05日)
オーストラリアのロボット研究者は、記録狙いのトラック競技に疑問は呈しながらも、「現在莫大な資金が投資されていることを考えると、その日は私たちが考えているよりも近いかもしれません」(ロボット工学教授、ジョナサン・ロバーツ氏の解説-上記記事より引用)と述べています。
研究者らしく自身の専門分野であるロボット開発に巨額の投資が行われ続けることに期待を寄せています。
かつての日本は世界に先駆けて産業用ロボットを実用化して「ロボット大国」の名をほしいままにしていました。
しかし2026年の今、人型ロボットの分野では、日本はAIとの連携などで世界から立ち後れていると指摘する声もあります。![]()
※ちょっと横を失礼しますよ
とはいえ、世界のロボット研究者の本音はまだまだヒューマノイドロボットは黎明期にあり、巨額投資で研究を後押ししてもらわないとイノベーションは起こせないとの思いがあるようです。
いまはお遊びのような大会ではあるが、AIで起きたようなブレイクスルーはもうすぐ起こると信じているのでしょう。
東日本大震災のあとに発生した原発災害では「燃料デブリの撤去作業にロボットが使える」といわれていました。しかし数度の失敗を経て、その後の進展がありません。また、頻発する山岳事故や水害事故。ここでも人力による救難隊だけが頼りです。
日本にはトラックで活躍する人型ロボットよりも、災害現場や山に海に人助けに役立つロボットが必要だと思われます。
そしてその形状はどんな形でもいいでしょう。障害物を乗り越え、山野を駆け巡り、川を海を渡り歩き、人命救助するロボット。わたしはそんなロボットの登場を心待ちにしています。(水田享介)