「できる!」ビジネスマンの雑学
2017年01月10日
[339]薬師寺東塔、新築でした

◆天平から平成までの1300年を立ち続けた薬師寺東塔

 薬師寺東塔が建てられたのは、いまを去ること1300年もの昔、奈良時代の天平年間(729~749年)と伝えられています。建立後は、度重なる戦乱をくぐり抜け、風雪を遮るものもない環境に耐えて、当時の姿をそのままに今日に伝えています。

 この塔の特徴である三層の屋根と裳階(もこし)と呼ばれる小さな屋根のリズミカルな構成は「凍れる音楽」とも称され、その優美な姿はいまも高く評価されています。

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※【国宝】 薬師寺東塔(Wikipediaより)

1919年(大正8年)に出版された名著『古寺巡礼』では、東塔についてこう書かれています。

 「しかし金堂から東院堂への途中には、白鳳時代大建築の唯一の遺品である東塔が聳(そび)えている。これがどんなに急ぐ足をもとどめずにはいないすぐれた建築なのである。三重の屋根の一々に短い裳層(もこし)をつけて、あたかも大小伸縮した六層の屋根が重なっているように、輪郭の線の変化を異様に複雑にしている。何となく異国的な感じがあるのはそのためであろう。大胆に破調を加えたあの力強い統一は、確かに我が国の塔婆の一般形式に見られない珍奇な美しさを印象する。もしこの裳層が、専門家のいうごとく、養老年間移建の際に付加せられたものであるならば、われわれを驚嘆せしめるこの建築家は、奈良京造営の際の工匠のうちに混在していたわけである。」
『古寺巡礼 ‐十六‐』 和辻哲郎 著 「青空文庫」 より引用)

 同時代の建築家から見ても、東塔の美しさは格別だったようです。

 「招提寺を南に今は電車が馳る。奈良から法隆寺へ行く汽車の途中あれが招提寺の杜、あれが薬師寺の三重塔と、遙かにその美しい姿を杜の上に指願する時は、本當に大和巡りの味がわかるものだつたが、今電車で西大寺から來るとあまりに塔の姿が近くて何だかもの足りない、あれが塔と思ふ間もなく電車はすぐ西の京の停留所につく、文明の利器を用ひるよりは巡禮者は必ず西大寺から歩して菅原寺唐招提寺を賽して、そのすぐ南の薬師寺へ塔を眺めながら歩くがよい。」
『古建築巡禮 ‐薬師寺東塔‐ 』 服部勝吉 著 より引用 1925年刊)(国立国会図書館デジタルコレクション 所蔵)

 奈良時代の建築家が生み出した美の造形に、約百年前の日本人にも、21世紀に生きる私たちにも美しいと響く、同じ感性が流れていることに驚きと感動を覚えます。それこそが、日本人の間で脈々と受け継がれてきた美への審美眼やセンスの証(あかし)ではないでしょうか。

 この東塔の謎の一つに、建築の由来があります。『古寺巡礼』でも触れているように、別の所で建立したものを薬師寺に移築したのではないか、という疑問が長いあいだぬぐえませんでした。

 ところが今回の解体修理により、その論争に決着が付いたようです。

薬師寺東塔は奈良時代の建設 新築?移築?論争決着へ
 「凍れる音楽」と称される奈良・薬師寺の東塔(国宝、高さ約34メートル)が、奈良時代の730年ごろに建てられたことが分かった。寺と奈良文化財研究所(奈文研)が19日、年輪年代測定の中間結果を発表した。東塔をめぐっては、飛鳥時代の藤原京(694~710年)からの「移築説」と平城京遷都後の現在地での「新築説」があったが、新築説が確定的となる。
朝日新聞デジタル 2016年12月19日掲出)

◆歴史的建造物に私たちができること

 当然のことですが歴史的建造物とは、私たちがいま必要だからと思い立っても作れるものではありません。千数百年もの間、幾世代も経て大切に受け継がれてきた結果としてそこにあるのです。
 現代に生きる私たちにできることは、この建造物を後世にそのままの形で伝えていくことだけです。

 薬師寺東塔は現在、解体修理に入っています。塔全体が覆屋に隠されているため、その姿を見ることはできません。平成32年の6月頃に修理が完了する予定です。
「東塔・解体修理中」(薬師寺・公式サイトより)

 平成32年は、東京でオリンピックが開催される2020年にあたります。東京五輪直前に修理を終える薬師寺東塔は、その時どんな姿で私たちの前に現れるのでしょうか。(水)

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■関連リンク
薬師寺・公式サイト


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