「できる!」ビジネスマンの雑学
2016年08月15日
[278]「わが母 最後のたたかい」で知る、敗戦引き揚げの真実

 8月15日は終戦の日。日本が太平洋戦争に負けた日です。71年前のこの日をもって日本国ではなくなった台湾、朝鮮半島、さらには中国東北部、かつての満州国から大勢の日本人が帰国することになりました。いわゆる「引き揚げ」です。
 筆者が生まれる前のできごとでもあり、身近な体験者もおらず、引き揚げと聞いても何のことか、想像すらできませんでした。

 このたび「わが母 最後のたたかい ‐介護3000日の真実‐」(相田洋著・NHK出版)を読む機会があり、その過酷な帰国までの道のりがようやく理解できました。

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 筆者としては、介護とはどんなことをするのかな、と思って手に取った本でしたが、それ以上の貴重な体験談に出会うことができました。

 著者の相田洋氏は、敗戦時にはわずか9歳。警官であった父の赴任先、満州に母と二人の幼い弟との四人で住んでいました。父はすでに招集されて不在のため、男手のない家族は住む家や金品を奪われ、厳しい冬の寒さと食糧不足に何度も生命の危険にさらされます。周囲では病に倒れる人、中国人にもらわれる子供が続出する中、看護師をしていた母の医学知識と周囲の助けで、昭和21年11月中旬、奇跡的に四人そろって帰国することができました。

 ここで疑問なのは、なぜ引き揚げに生命の危険にさらされながら、2年近くもかかったのでしょうか。そこには政治的な思惑が深く影響していたと著者の相田氏は語ります。

 まず、大本営が敗戦を目前にして「なるべく多くの日本人を大陸に残置しておく」という方針を立てたこと。これは日本軍がもう一度満州へ進出したとき、日本人を置いておけば役に立つと考えたことが理由でした。
 また、敗戦後の内務省でも「無秩序に引揚を決定せしむることなく」対処することとしています。他にも「在志居留民は成るべく支那に帰化する様取計ふこと」を計画する省すらありました。(著書より一部引用)
 加えて、ソ連が違法に実施した日本人男性のシベリア連行や引き揚げへの非協力的態度、国民党と中国共産党との内戦勃発により、引き揚げ計画が実現する可能性はますます閉ざされていきました。

 ところが、旧日本軍が中国共産党の空軍を創設するなど、残留日本人が戦力化につながる事態となり、これにあわてたアメリカの強い指導により、ようやく日本政府が引き揚げ事業を進めることになったのです。

 こうした経緯を知った著者は、「日本国のエリートたちの冷酷さは戦後の様々な出来事にも通底している。原爆被爆者への対応、水俣病患者への対応(中略)・・・調子の良い時には声高に尻馬に乗り、具合が悪くなれば頬かむりしてトンズラする無責任な偉い人たちである。」(著書より一部引用)と痛烈に批判しています。

 著者の相田洋氏は、元NHKのディレクター。「NHKスペシャル 電子立国 日本の自叙伝」の企画・構成・編集、さらには出演までした敏腕ディレクターです。難しい半導体業界の興亡史を、相田氏独特の歯切れの良い語り口と平易な、しかし薄っべらではない解説がおもしろく、筆者も楽しみに観た記憶があります。

 介護をするにはその人の歴史を知らなければいけない、ということを教えてくれた一冊です。(水)

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