一昨日、葉山マリーナを母港とするヨットスクールの創立30周年記念行事が行われました。
私は小学4年の時にヨットスクールに通い、中学2年でスクールを辞めました。始めたきっかけは、相談役がヨットマンで、ボートショウに行った際に当クラブを知り、姉共々に入会をしました(させられた)。その時の嫌な空気「やばい、入会させられる」を今でもしっかり覚えております。20年ぶりの仲間との再会に少し照れ、戸惑いました。「...、え~っと。ごめん、誰だっけ?」という感じでした、失礼しました(笑い)。いや~、懐かしい。
みんなの寄稿を読んでいますと、当時のコーチ達の指導の厳しさが脳裏に蘇ります。ヒール(風を受けて大きく船体が傾くこと:度が過ぎれは沈(チン)、ひっくり返ります)を潰せずに右往左往していると、後方からモーターボートが勢いよく追っかけてきて、「オラ~、オラ~石野!潰せ、つぶせ、馬鹿野郎~!」と、今では考えられない怒号 + おまけの柄杓パンチが飛んできます。あれは怖かった...(笑い)。人によってはヒールを潰す体勢中に、頭から虫網をかぶせられ、無理やりヒールを潰させることもあったとか(苦笑)。
僕ら仲間達の世代は、学校・趣味においても厳しい指導下で育ったわけです。ヨットをやっていますと、今の教育や指導がとても甘く、子供のためにならないようにも感じます。ヨットスクールでの厳しい指導は、海でスポーツする際の危険を回避するためにも必要だったのですね。ヨットに限らずいえるのは、世の中を生きていく上で経験する、多種多様な危険を回避する意味でも、過保護な考えを捨てた厳しい教育や指導は求められると思います。今では笑い話ですむのは事故が無かったからで、コーチのおかげなのです。
記念行事には妻や子供も一緒に連れていったのですが、妻が「あなたが子供を注意する際に厳しいやり方をするのはここから来ていたのね~」と笑いながらもグサリの一言でした。
ところで。みんな立派に活躍されていました。職種は医者・歯科医・経営者など様々でした。メンバーが共通しているのは学生時代も、自発・強制を含めヨットをやっていたことです。数名は葉山マリーナに現在も親子代々の船を所有し、大島ヨットレースなどにも参戦しているとの事でした。
大きなニュースとしては、北京オリンピックにスクール卒業生が出艇することです。青島の海をぜひ制してほしいものです。五輪観戦の楽しみがひとつ増えました。
今後も連絡を取り合い、定期的に再会をしようという話で、涙の別れとなりました(笑い)。同じ釜の飯を食べた仲間って本当にいいものですね。
スクールに通わせてくれた父(相談役)に感謝した出来事です。